「家庭の日」の起こり
 「家庭の日」 運動は、1955年(昭和30年)鹿児島県の鶴田町(現在さつま町)で生まれました。
 鶴田町では、各集落の公民館長による研修がもたれました。研修は、町や村に出かけていき、公民館活動や地域の青少年活動を視察し、その実態を参考に公民館活動のあり方を検討するというものでした。
 この研修視察を通じて提起されたのが、家同士の繋がりは強い反面、家の中の家族の絆が薄れつつあるのではないか、これに何とか歯止めをかける方法はないか、という問題でした。加えて、農業を主な産業としたこの町では、ゆっくり休むことすらできない農業従事者の多いことに気づかされ、 「農休日を設けては」 という提案が起こりました。
 この 「家庭を大切にしたい」 という思いと「農休日を設けては」という思いが重なり、「家庭の日」 という、日本で初めての試みが産声を上げたのです。そして、町を挙げての運動へと盛り上がってきたのです。








                             
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2 全国への広がり


 都道府県としていち早く 「家庭の日」 運動を提唱したのが秋田県で、1965年(昭和40年)1月から第3日曜日 「家庭の日」 を県下一斉に実施し、その4月、南国鹿児島県でも 「家庭の日」 が全県的に提唱されました。
 1969年(昭和44年)の調査では、47都道府県の内42県において 「家庭の日」 運動が主唱されておりました。実施日においては、32県が 「第3日曜日」 を家庭の日としており、8県が 「第1日曜日」、その他 「毎月5日」 「地域別」 としていました。1977年の調査では、回答のあった2038市町村の内、1275市町村で 「家庭の日」 運動を実施または提唱されていました。



















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